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普通に生きるのもラクじゃない【 #またぞろ。感想記事】

『またぞろ。』を買いました。

またぞろ。 1巻 (まんがタイムKRコミックス)
 

最近あまり遊んだゲームとか読んだ漫画のレビューとか書いてないのですが、今回なんとなく書こうという気になりまして。

続きは以下で。

兎にも角にも「留年」がテーマである本作は、個人的にすごく地に足が着いた作品だな、という感想でした。

メインの3+1人を構成する要素……不登校、病欠、成績不良、遅刻常習犯といったものは、読者の経験の有無を問わず、現実にあるものです。ここは結構分かれ目だと思うのですが、自分または周囲にそんな人がいたかで本作を見る目は変わるんじゃないでしょうか。

自分はまぁまぁまともな学生時代を送ってきたので無縁……と言いたいところですが、かつて同じ部活に所属していた人がこんな感じでした。その人は結果的に退学を選びましたが、その人と僕はそれなりに親しい仲だったし、会話の空気感も作中に近からず遠からずだった記憶があります。なんというか、のらりくらりとしているんですよね。

そんなわけで、ジャンル日常系の金字塔である「きらら」として、今まで大きくピックアップされたことのない現実的かつマイナスな要素が主題なのが特徴だと思いました。

他の作品って、良くも悪くも特殊な部活動だったり超常現象に遭遇したりと、物語に彩りを与えるためのファンタジックなポイントがいくつかあると思うんですが、『またぞろ。』はそんなでもない印象。言うなれば、心地の良い毒を吸引しているイメージ。決して綺麗でキラキラしているとは言えないけれど、絶望的なほどドス黒いわけでもない。不思議な空気感です。

それを裏付けるのが、1巻後半辺りにある先生の描写だと思います。留年生3人+予備軍1人を一手に引き受けることになってしまった新任の教師が、仕事終わりに宅飲みしている時に見ているアニメ。どこかで見たことのある構図から「テスト赤点だ〜このままじゃ留年しちゃうよ〜」→「追試合格できた〜めでたしめでたし!」というお決まりのシナリオに対して、「現実もこんなだったらいいのになぁ」と吐き捨てるのです。

学園ものに欠かせない試験と赤点問題を、フィクションの話として切り捨てるのは「きらら」として見てもあまりにロック。しかしなぜなら『またぞろ。』は留年生の話ですから、そんな生易しい物語じゃないんです。

そこから畳み掛けるように主人公の殊(こと)の過去話が続きます。ざっくりまとめると、「人に頼らないとまともに生活できていなかったから、高校では自力で頑張ろうと依存を脱却しようとしたけど、結局ダメで心が折れて、結果として留年した」という恐るべき情報量の前日譚が語られます。

殊のことではないですが、前述したような学校生活における問題児に対して、自分は時おり「どうやって生きてきたんだ」と思うようなこともあります。目に見えて深刻な身体障害や知的障害を背負っているわけでもなく、作中では「人間がへたくそ」と形容されていますが、とにかく何故ここまで生きて来れたのか」疑問に思うような……日常生活に於ける何かが致命的に欠けていることがあります。

最近では発達障害なんて言葉も便利に扱われ始めていますが、そういったサイレントマジョリティ的な存在こそ、ある意味一番目をかけてやるべきで、それが殊なんだと思います。

1巻の最後では改めて2回目の高校1年生を"しっかりして"過ごそうと決めた殊に対し、「無理にしっかりしなくていい」留年生なんだから」と言葉をかけます。それもそうで、そもそもしっかりしてないから留年してるんです。それが分かっているのであれば、「頑張って生きよう」と思わずとも、毎日はちゃんと過ごせるのではないのかなと思います。

そんなわけで、『またぞろ。』は1巻を通してマイナスからゼロを目指す物語なのだと感じました。これだとどこぞのジョッキーみたいですが……。要するに、誰しも持っているような欠点を隠して取り繕うのではなく、自認して晒け出す。そういったことができる寛大さというか、「不条理を受け入れる」ことが、本作における核なんじゃないでしょうか。

人間普通が一番と言われるものの、「普通って何だろう?」と疑問を抱くことも増えました。そして世の中にはその「普通」にすら到達が困難な人が多く存在します。そんな留年生たちの、ただしくなくて、ただ、いとおしい青春の日々。どうか最後まで見届けることができれば。